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やっぱかける気がしたのでかきます
幼少期のお話
私は3歳まで中国のお家に預けられていてお手伝いさんとずっと暮らしてたの〜
立派なおうちで当時の価格で2億ぐらいのおうちでベンツsクラス乗り
記憶にはないけど欲しいものぜーんぶなんでも買ってくれて手に入らないものも権限でその日中に全部手に入れてくれてた。
だからままもぱぱも私の幼少期は知らない
日本に来て5歳くらいまでの記憶がないけど思い出したら殴られて洗濯機突っ込まれて片足立ち半日、雑巾がけ1日、しなかったらぶん殴られて背中中アザまみれ、ベットから突き落とされて、そこから性的搾取
小さいからよくわかんなかったけど、虐待だったらしい
鉄パイプでなぐられた跡まだ残ってるよ。
こんなんだったら足なんかもういらないって言った時に鉄パイプでなぐられた跡まだ残ってるよ。
でも、こんなのまだマシやったよね
物心つく時には両親お家帰ってこなかったもんね
おねえちゃんと2人でどれだけ寂しかったとおもう?なんにもない家でご飯もお水もない
夏場に熱中症なって怒鳴り散らかされたの一生忘れないよ。熱出して怒鳴り散らかされて毎日毎日お金の話
一生忘れないよ
心の底からきっと愛せない
どうしても我慢できなくて死にたくなったあの日
腕を切ったあの日
ままとぱぱはわからんよね、だって私のこと見てくれてなかったもん
気づいてたけど黙ってたおねえちゃんごめんね。
そこから鬱が悪化した中二の夏
ご飯も通らなくなって167cm44kgまでおちて鏡が怖くなってなにも出来なかった夏
中3はリスカが酷すぎてセーラー捲られそうになった時どんな気持ちだったかきっと誰にもわかんないと思う
毎日odしてた気持ちわかんないよね
高校生になって、もっと鬱と醜形恐怖症がひどくなってパキって学校行ってリスカしてバイトして限界きてこのままだったら飛び降りて死んじゃうと思って学校のいき道ひとりで精神科調べて病院に行った気持ちわかんないよね
そのままでした。
勇気出して貰ってきた資料出してなんて言われたか鮮明に覚えてるよ
私の娘は障害者じゃない大丈夫って
あ、心配、してくれないんだね
もう何言ってもダメなんやって思った
全部自分のことは自分でしなきゃ行けないんやって思った
で、当時とがってたのもあって喧嘩と鬱が重なってだんだん悪化して学校に行けなくなった
16歳の誕生日
お化粧してたらパパにかお白すぎって言われて触られて醜形恐怖症だからしんどくて衝動でリスカして始めて家族の前でしたからなんか泣かれたな。泣きたいのはこっちだよ
ルルA1瓶odして落ち着いたと思って焼肉食べに行ったら大嘔吐
17歳の誕生日
また家族でご飯で喧嘩して薬キメて京都でパキパキでぶっ倒れて知らない人に介抱してもらって意識半分飛んでる中平然装って家族写真撮ったよね
あれよく見たら目完全に逝ってるよ
こんなことがあっても私を精神障害者として認めてくれなくてどれだけ辛かったか。
私の気持ちは誰にもわかんないよ
そこから過保護毒親生活のはじまりはじまり
またつぎかこ、精神的に死ぬわこれ